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ソウェト自立生活センター忘年会の模様(2018.12.19)

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  As promised to you, colleagues of Soweto ILC, I upload photos of its end-year party on 19 December 2018.  On that day, though staffs were so hectic for the payment to personal assistants before holiday season, both board members and staffs gathered and marked the end-year of 2018, wishing 2019 a glorious and brilliant year for us.  ソウェトILCの皆さんに、ネットに上げるよと約束したので、写真を上げましょう。12月19日ですね。今年はムジの逝去からはじまりいろいろとあったし、大変な中でもみんな頑張ったので、お互いに労いあうことにしました。  21日には確実に介助者に給料を支払わないといけないことから、忙しいさなかの開催でしたが、皆さんリラックスできてよかったですね。 最初はみんな集まってお祈りをするところから始まります 挨拶をするモレレキ議長 ピア・カウンセラーのントンバナとクララ。お疲れ様でした この日は介助コーディネーターのタンドの誕生日でした 若く見えるが自分より年上。リフト車ドライバーのバファナ 左からタンド、リゾ(事務所のお隣さん)、シボンギレ(ムジ夫人) シボンギレと語らうベキ副議長(左)とモレレキ たまには自分も写ります うちの家族と。真ん中は11月からマネージャーになったナタン 6月に選ばれたモレレキはまだ30歳

事故、もらっちゃいました(南アフリカの交通事故の処理はどうするの?)

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 日本と比べて、南アフリカは交通事故の多い国です。  WHOの交通安全報告によれば、世界全体で24秒に一人の割合で交通事故死が発生しているということです。日本は10万人に対して4.1人が交通事故で亡くなっています。南アフリカは25.9人。乱暴な言い方をすれば、日本より南アフリカの方が、6倍ぐらい交通事故死しやすいということになります。  交通事故による死者の内訳を見ると、日本は自動車の運転手・同乗者が多くを占めていますが、南アフリカは運転手・同乗者と歩行者が同じぐらいです。南アフリカで運転していて、信号や横断歩道が意味をなしていないのを見ると、さもありなんといったところです。  つまり、南アに住む日本人は、近距離であっても車を使う人が多いでしょうから、交通事故の被害者となるだけでなく、加害者になるリスクも高い、ということです。ぜひ、加害者にもならないように安全運転しましょう。 WHO交通安全状況報告2018(英語) 興味のある方はどうぞ  「ヒヤリ・ハット」ではありませんが、これだけ死者が出ているとなると、その陰にはけが人を出している事故、もっと後ろには軽い追突・衝突・接触事故がたくさん起きているわけです。ベコベコに凹んだ車や、レスキュー待ちの現場を街中でよく見かけることからもよくわかります。  かく言う自分も、これまで4度ほどぶつけられています。ですので、自分の車のバンパーもベコベコです。ミニバスタクシーと呼ばれるワゴン車がとにかく運転が荒いので、注意が必要です。注意してもだめなときはだめなんですけどね。。。  さて、先週(12/20)も事故をいただいてしまいました。「大した事故じゃないじゃん」と言われそうですが、大した事故ならこんな呑気に説明していられないですよね。 基本というか前提  南アフリカも例外ではなく、けが人がいない限り警察はほとんど仕事しません。  保険にはキチンと入っておきましょう。相手がいくら悪くても、相手が保険に入っていることはあまり望めませんし、支払能力があるなんてことも期待してはいけません。誰に責任があっても、自分の身は自分の保険でしか守れません。  保険屋さんには警察が発行する事故報告番号が必要になるので、出来るだけ早く(人身事故の場合は24時間以内、そうでなければ翌営業日まで)に警察に行って、事故

『人間の安全保障を踏まえた障害分野の取り組み』(2005年度)

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 もう13年も前ですか。  これを探していたわけではないのですが、検索してたらたまたま引っかかったのでびっくり。外務省のサイトは長い間消さないんだなと感心しました。ということで、懐かしさ半分でご紹介。 『人間の安全保障を踏まえた障害分野の取り組み:国際協力の現状と課題』  人間の安全保障。聞かなくなりましたね。あの頃の日本は巷では 千の風 が吹いていて、開発業界の界隈では セン の風が吹いていました。  日本の外務省がNGOに対して行っている支援の一つに「NGO研究会」というのがあります。この本は、2005年度NGO研究会の報告書になります。  複数のNGOが自らの事業実施能力・専門性の向上を図るために行う研究会活動を外務省が主催しています。各研究会では,NGOが直面する共通の課題をテーマとして,調査・研究,セミナー,ワークショップ,シンポジウムなどを行い,具体的な改善策を報告・提言することによって,組織や能力の強化を図ります。 というのが趣旨だと外務省のサイトに書いてありますが、外務省が毎年テーマを設定して、委託を受けたNGOが研究会活動をする、ということのようです。 外務省(NGO研究会)  2005年のテーマの一つが障害分野だったのですが、受託団体は FASID (当時は財団法人 国際開発高等教育機構)でした。そこに私の職場であるDPI日本会議も関わる、という流れで宮本自身も研究会にちょこっと参加していました。 原稿へのダメ出しがとても勉強になったのを覚えています  2005年度の研究事業ですから、いろいろと古くなっているところが多いのですが、基本的な考え方とか方向性とかはそんなに変わらないんじゃないかなと思います。割と初心者向けに読みやすいと思うので、障害と開発をしたい方は一度読んでみたらいかがでしょうか。  ちなみに宮本は第1章「人間の安全保障と障害・障害者」の「障害者の権利と人間の安全保障」と、第2章「国際協力における障害分野の最近の焦点」の「障害と貧困」を担当しております。読み返すとあまりに稚拙で恥ずかしいのと、障害者権利条約ができる前なので、内容が生煮えなんですよね。どうしても。      

国際障害者の日2018 州イベントに出展してきました(2018.12.03)

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 毎年の行事ごとなのですが、12月3日の国際障害者の日のイベントに参加してきました。 昨年の障害者の日はこんな感じでした。  この数年はブース出展をお願いされているのですが、今年は自分ではなくて、自立生活センター側に直接依頼が来ました。州政府が自分を介さなくなってきているのはいいことですね(たまたま南アにいなかったこともあるのでしょうが)。  今年の会場はNASREC展示場。何年かに一度はここを使っているような印象があります。東京近郊で言えば、幕張メッセとかみたいなところと言えばいいのでしょうか。  9時からスタートという案内に従って、9時半頃に会場入り。ああ、南ア時間に毒されていく自分。  ソウェト自立生活センターのスタッフは9時前に真面目に行って、出展の準備をしていたようです。レメロス自立生活センターの方は10時近かったかな。  このイベントの場合、「9時」というのは、参加者が集まり始め、朝食を配り始める時間のこと。プログラムが始まる11時ぐらいまでの間は、様々なパフォーマンスが繰り広げられます。ちなみに参加者は、朝ごはん(サンドイッチ、りんご、ジュース、グミ)、Tシャツ、昼ごはん(バーガーだったかな?)がもらえます。何百も用意するので、一大イベントです。 さあ、踊って踊って 会場の隅で業者や団体が出展  日本と違っていいなあと思うのは、子連れでもなんの問題もないこと。主催者も外に遊び場を用意しています。大勢の子どもたちがはしゃいでいました。 お城倒れそう  もちろん、踊る人ばかりではなくて、会場内は久しぶりに会う人たちの挨拶や、行政の人を捕まえての談義、そしてブースを回る人たちもたくさんいます。  自立生活センターにとっては「稼ぎどき」の時間です。州行政は、いつも「その団体がどの程度障害について普及啓発をしたか」という数値を気にします。こういう日に、ブースにいらっしゃる人にせっせと自立生活について説明をして、名簿に名前を書いてもらうのが、彼らの大きな仕事です。  他のNPOもこうした数値が必要なのですが、あまり熱心にブースを立てたりしません。作業所とか、入所施設だと、そこの利用者との間で閉じこもった関係を作っているせいかもしれません。 参加者に自立生活を語るモレレキ・ソウェトILC

日本語で声高に「内緒話」していませんか?

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 日本人だけではありませんが、海外で会議に出ると、よく「内緒話」を自国語でしているのを耳にします。議論の内容の確認作業から、対処方針の相談、感想の共有に至るまで、内容は様々です。  「日本語は特殊だからみんなわかんないだろう」と思っているのか、大きな声で「内緒話」をする日本人も少なくありません。  日本語が、サブカルチャーを足がかりに広がりを見せているとは言え、まだ、「こんにちは」「ありがとう」以上の日本語ができる外国人は圧倒的に少ないので、こうした声高な内緒話は、実質的に「暗号」のような役割を果たしています。  少なくとも、無意識のうちに私たちは、他国の人には分からないだろう、と推測して、そういう場面で日本語の内緒話を行っています。  もちろん、国際的な集まりに出る日本人、みんながみんな英語が流暢ではありませんし、必ずしもその場で1人で意思決定ができるような権限を持たされているわけではありませんから、「ゴニョゴニョ」と「こちら側の話」をすることはあるでしょう。  そんなときは自国語のほうが簡単です。私もそうです。  このような「内緒話」は、議論を誤解なく進めるために、ある程度必要だと思います。  しかし、特に議論の最中に行う「内緒話」では注意しておきたいことがあります。  まず、相手を置き去りにして、自分たちだけで自国語で先に結論を出して、それを相手に伝えようとしてはいけません。自分たちだけで小田原評定をだらだらと始めてしまったりなんてこともよくありません。  あくまで、自分たちだけの「確認作業」ですから、速やかに相手との議論に戻りましょう。いつまでも自国語の内輪話に興じていると、相手から能力や権限が疑われます。ましてや、声高に、ときに笑い声までまじりだすと、相手はどう思うでしょうか。  そして、表情や声のトーン、その後の展開などから、話の内容は意外と正確に相手に理解されていると思っていたほうがいいでしょう。相手の悪口や文句、というのは、日本語であっても慎んだほうが身のためです。 悪口はわかるよ 体験談をひとつ。  以前、世界銀行のラテンアメリカを担当する障害と開発チームと一緒に仕事をしたときのことです。彼らとは、ブラジルやメキシコなど中南米の国でセミナーなどを実施しました。当然、担当者もコンサルタントも皆、

南アフリカで外国人が車を運転するには?(運転免許のお話・一部訂正あり)

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先日、プレトリアのタイ大使館に行きました。 11月に運転免許更新のためにタイに戻るのですが、そのためのビザ取得についての説明を聞くのが主な目的でした。結局、観光ビザというか、ビザ無し30日のままで免許を更新できるのかできないのか、色んなサイトを見ても判然としないので、配偶者ビザを取っていくことにします。 タイの配偶者ビザは、どこにあるタイ大使館かによって、必要書類等が違ってきます。なんどもプレトリアまで行きたくないので、書類をもらいがてら話を聞いてきた次第です。 さて、本題ですが、南アフリカは、外国人は(永住者を除き)南アの運転免許を持つ必要がありません。そのかわり、 どの国の免許でも運転することができる という不思議な国です。 その人の国籍と免許発行国も一致している必要はありません(だから、私もタイに戻って免許の更新をするわけですが)。ただし永住権を持つと、運転免許の切り替えが義務になります。 詳しくは日本大使館のサイトをご覧ください (南ア運輸省の文書もあり) 運転免許が英語以外の言語で書かれている場合、当該の大使館に行って免許の「翻訳証明」を出してもらう必要があります。 タイの免許はタイ語・英語併記ですが、警察がごねる時がある(過去に併記の英語がタイ語の翻訳かどうか分かんねえだろ、と言われたことあり)ので、大使館で証明を出してもらいます。 日本の免許も同様の扱いですが、日本大使館で翻訳証明を出してもらう場合、翌々日の発行で、250ランドの手数料がかかります。タイ大使館は即日発行(自分のときは30分待ちぐらいでした)で、 無料です 。(※タイ大使館の翻訳証明のルールが変わりました:下記参照) 在プレトリア日本大使館(主な証明事務のご案内) 「翻訳証明」と「パスポート」、そしてオリジナルの運転免許の3点セットで運転できることになるというルールです。 パスポートも、原本である必要はなく(盗難や強盗で無くしてしまうは怖いですよね)、認証のある写しでOKです。認証は最寄りの警察署でやってくれます。原本と写しを持っていくと、写しに「これは原本と同じですよ」というスタンプを押してくれます。 南アフリカでの外国人の運転免許については、色んなサイトが違うことを言っていますので注意

「自立生活事業を通した障害のあるメンバーたちの成長」

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 また、古い原稿ですが、昨年4月に(財)日本障害者リハビリテーション協会の「月刊ノーマライゼーション」2017年4月号に載った原稿が、ウェブに掲載されていますのでご紹介します。 ワールドナウ「南アフリカ:自立生活事業を通した障害のあるメンバーたちの成長」  掲載前に上司に見せたら、「暗いけど宮本くんらしくていいんじゃない」という微妙な反応だったような記憶が。。。  短い文章なので、サラッと読んでおわかりいただけると思うのですが、やはりこの事業の「キモ」は、特別な役職者じゃない、地域に住む「普通の」障害者を集めて事業が成り立ったところでしょう。  どこでもそうですが、人材発掘にあたってはクライテリア(採用条件)を結構厳しくつけます。でないと、事業がうまくいかないリスクがどうしても高まりますし、また、採用された、されないの基準が不透明になって不採用の人の不平等感も高まります。当然、汚職のたぐいも懸念されます。また、人件費を払うわけですから、それに見合っているという客観性も必要です。  ただ、この事業では、それをわかった上で、壁を破ってみたかった。地域に実際にリアリティを持って暮らす障害当事者が事業を担うことで、はじめて事業が地域に根付く、というところを、ムジと私は目指しました。  そして、それは、一定うまく行ったんだろうと思います。  出会いは運ですよね。運が良かったところはあると思います。  もし、半年早く事業が始まっていたら、彼らはまだリハビリ病院にいて、別の人たちが紹介されたかもしれない。そうしたらどうだったろうか。「IF」を問い始めればキリがありません。  この原稿では、「サクセスストーリー」としてそうしたアプローチを紹介しています。確かに「サクセス」なのですが、この原稿が掲載されてから10ヶ月後、いざムジが急死してみると、脆弱なところが次々と出てきます。 ソウェト自立生活センターマネージャー、故ムジ・ンコシさんについて (2018.3.10)  特に障害者団体や行政との関係維持といった政治的な立ち振る舞い、そして、NPO法人としてのマネジメント能力が試される日々が続いています。ムジはそこを全面的に引き受けていたので、私にもよくわかっていないところが多かったのが辛いところでした。  スタッフ教育の必要性は日頃から彼

「ド素人がやってきた途上国とのおつきあい」(2005-6年の原稿)

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 唐突ですが、2005年から2006年頃にかけてNPO法人コミュニティサポート研究所の雑誌『こむさ』に寄稿していた記事を久しぶりに入手できたので、ご紹介します。  残念ながら『こむさ』は4号までで一旦休刊。長い沈黙の後、5号が出たようですが、再び休刊状態となっています。私の連載も1-4号まででした。そのため、やや尻切れトンボのようになっています。  1990年代に何をしていたか、20代駆け出しの自分を振り返りながら、30代の自分が書いたものです。日本で暮らしているときはこんな事を考えてたんだなあとか。 海外暮らしでこうなる前の話ですね  改めて読み返すと、どうも生煮えなところが多く、赤面するような内容です。字数制限とか、遅筆グセなど、生煮えにしてしまった言い訳はたくさんありますが、ご笑覧いただけるとありがたいです。  なお、個人名を伏せるなど若干の修正をしています。また、4回の連載を1つにまとめるために、体裁を整えてあります。コミュニティサポート研究所の齋藤明子さんには、電子データでの原稿をいただくとともに、転載をご快諾いただいています。ありがとうございます。 ------------------------------------- クロスオーバーNPO=行政のように縦割りにならないために ド素人がやってきた途上国とのおつきあい DPI日本会議事務局 宮本泰輔  大学時代に留年(留学ではない)を2度経験した。1度目は3年生のときに分かっていたからショックはなかった。4年生のときに奨学金が切れて困ったけれど、5年生のときには復活した。2回目の留年は予想外のできごとで路頭に迷った。「6年生」なんて、小学校にしかないものだと思っていた。  そのとき、なんとなく誘われるがままにDPIという障害者団体でバイトをしていた。その前から関わってはいたけれど、そこで働く人の個人的な介助者としてだった。とりあえず、たまに事務所にやってくる英語の手紙を訳したりしていた。ちなみにDPIとはDisabled Peoples’ Internationalの略で、日本語では「障害者インターナショナル」と訳している。詳しくは、http://www.dpi-japan.org(DPI日本会議)か、http://www.dpi.org(DPI世界本部)

ソウェトの中等学校で生徒たちと意見交換(2018.04.17)

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 ソウェトのミードウランズ地区にあるモゴメ中等学校に、近所のピア・カウンセラーがアポなしで打ち合わせに行ったのですが、すぐにOKが出て、翌週に「啓発イベント」なるものを実施することになりました。  事前打ち合わせの模様はこちらから。 ソウェトの中等学校訪問 (2018.04.11)  アポ無しでいきなり行って、はい翌週、って普通はありえないですけどね。その辺り、地元同士の強みでしょうか。  前日に、ピア・カウンセラーが「1時間も間が持つかなあ」と心配そうに言うので、 「1時間も話すつもりなの? 生徒に問いかけて、一緒に話すとかしたほうが、生徒たちも楽しいんじゃないかな」 と投げかけたら、「ああ、そういう方法もあるか」と気づいてくれたようです。  さて、当日ですが、午後の時間、低い学年(日本だと中学2年とか)の子どもたちが講堂に集まってきました。福祉とかに関心のある高校生も何人か来ていました。   講堂に入る前に、参加名簿に名前を書く行列   講堂に入る前に、参加者名簿に名前を書いてもらいます。これが結構時間がかかる作業です。しかし、これを書いてもらわないと、こちらも行政に「〇〇人集まりました」と報告できないので必死です。  なぜか、青インクはだめとかしょうもないルールがあるようで、青のボールペンを渡したらスタッフに文句を言われました。本当かなあ。 講堂は満席。立ち見も  真面目な生徒は前の方に来て、騒がしいのが後ろに座るのも万国共通でしょうか。一人話し終わると、口笛を吹いて、ヤンヤヤンヤの大騒ぎ。いちいち静かにさせるのもお約束、という感じです。     話す内容は、介助者研修の触りのような感じです。障害者が地域で自立して生きることと、脊髄損傷とか脳性麻痺とかについてもちょこっと。 代表のナタンさんの話を真剣に聞く  自己紹介の後、 「自立ってなんだろう?」 という自立生活センターのメンバーの問いかけから議論がスタートしました。  生徒たちが思い思いに「身の回りのことができる」などと答えた後、 「じゃあ、私は自立していますか?していませんか?」 と重ねて問いかけると、「あ、そういえば自立していますね」と察しのよい生徒もいたようで、それをきっかけに話が弾ん

タイ大使館からソウェトの家庭訪問(2018.06.14)

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 タイと南アフリカは、1993年12月9日に国交を樹立し、今年で25年になります。 在南アフリカタイ大使館ホームページ(英語)  それを記念して、というのかどうか分かりませんが、タイ大使館から、ハウテン州のタウンシップ内の障害者住宅の改善(タイ人ボランティアと材料の提供)を検討したいので、一度視察したい、という連絡が突然入ってきました。  まあ、タウンシップと言ってもさまざまだし、これまでタイ大使館の担当者があまりそういうコミュニティーの中に来たこともないようでしたので、まずは視察ということで、ソウェトにいらっしゃいました。  ソウェトも全部をくまなく見て回るわけにもいかないので、ソウェト自立生活センターのピア・カウンセラーのントンバナさんに案内してもらいながら、ミードウランズ地区からオーランド地区にかけて、5軒の住宅を回りました。  いつもの家庭訪問だったら、もう少し多様な住宅形態を見てもらったり、いろいろと工夫を凝らすところなのですが、突然ということもあり、みなさん同じような構造の住宅でした。そこが残念なところです。  出入り口のバリアもそうなのですが、古くからあるフォールーム・ハウスと呼ばれる形態の住宅はトイレが外にあるので、多くの重度障害者が家の中でバケツで用を足します。そうしたところも含めて、驚くことが多かったようです。  ソウェトだけなのか、他のタウンシップでもするのかなど、具体的な企画は今後詰めていくことになりますが、実施はおそらく8月の王妃誕生日以降ではないかと思います。ぜひ、企画が通って実現してほしいものです。 視察終了後、意見交換をするケッスダーさん(左)とントンバナさん

ソウェトの中等学校訪問 (2018.04.11)

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 ハウテン州社会開発局の障害者団体向け補助金の条件として、「障害予防など障害に関する啓発活動」が義務付けられています。  「目標人数」を予め団体と行政の間で合意しておいて、家庭訪問や学校訪問、地域活動などの参加者名簿を集めて、毎月報告を上げることになっています。目標人数を下回ると、次年度の補助金に影響するので、事務所を訪れたお客さんとかにも、名前を記入してもらったり、どの団体も長大なリストを作るのに必死になります。。。。なにか違うような。。  南アフリカの行政って、とかくこうした表面的な人数とか数値にこだわるくせが強いです。  「ノルマ」第一っていうやつですね。  そして、ダブルカウントがないかとか不正がないかとか、そうしたチェックにやたら労力をかけるし、かけさせる。この数字の集合体が「社会開発局の補助金の波及効果」のように語られる現状には、疑問も多くあります。  中身は何をやってもいいので、それぞれの団体の得意とすることをバラバラにやっている印象があります。  さすがに優生思想バリバリなことを言っている団体はないようです。褥瘡予防とか、二次障害に取り組む医療的な講習をする団体もあれば、飲酒運転撲滅やシートベルトを付けようという社会啓発をしている団体もあります。  ソウェトILCの場合は、ムジが「障害予防っておかしくね?」と常々言っていたので、「障害者の地域生活について話す。自分たちの活動について話す」ということに重点を置いています。それなら日常の家庭訪問も全部そうですしね。  2ヶ所の自立生活センターについて言えば、人数を集めること自体は他の団体に比べて難しくありません。むしろ、入所施設や作業所のように箱物に閉じた活動をしている団体の方が大変そうです。そりゃそうでしょうね。  昨日は、ソウェトILCのピア・カウンセラーであるントンバナの家の近所にある、彼女の母校モゴメ中等学校 (Mokgome Secondary School) に2人で行ってきました。ソウェトでも、ミードゥランズと呼ばれる区域です。  昨日は啓発活動の本番ではなく、事前打ち合わせと言うか、校長あてのお願い状を持って担当の先生と話をしに行きました。でもアポなし。  日本だとどうなんでしょうかね。学校側から依頼

日本と南アフリカの面積を比べてみた

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 最近知ったのですが、The True Size Of...というサイトがあります(ひょっとして有名?)。 The True Size Of  好きな国を指定すると、その国の形が切り取られて、ドラッグ・アンド・ドロップで他の国と重ね合わせることで、大きさや距離感が分かる!というものです。 青はアメリカ、黄色はインド、オレンジは中国  このサイトの優れたところは、極地に近づくに連れ、ドラッグされている画像が大きくなり、赤道に近づけば小さくなるので、メルカトル図法の弱点もカバーされる点です。なので、異なる国同士の面積を、簡単かつ割と正しいイメージで把握できます。  今回、これを使って、日本と南アフリカを比べてみましょう。    ちなみに、南アフリカの面積は122万平方km。日本は38万平方キロメートル弱なので、おおよそ3.2倍の差があります。3.2倍の差ってどんな感じなんでしょう?  3.2倍もあるかなあ???という印象ですが、きっと目の錯覚なんでしょうね。  赤線が南アフリカの国境です。フリーハンドが下手なので、ちょっと雑ですが。    南アフリカに周囲を囲まれた山国、レソトは新潟、福島、群馬、栃木あたりに重なっています。  この地図だと、行政府の首都があるプレトリアが函館か青森あたりで、立法府の首都のあるケープタウンが佐賀か長崎あたりになります。飛行機代が高いので、大抵の人はこれを長距離バスなり、自家用車なりで行くわけです。お役人や議員先生はもちろん飛行機。  もう1つの司法府の首都ブルームフォンテンは能登半島の沖合ですね。江戸時代の北国廻船をちょっと変更して、瀬戸内に入らずに長崎に向かうような航路が設定できそう。  せっかくなので、タイも重ねてみました。  タイは51万平方km。日本よりは広いですが、2倍はありません。南アフリカはタイと比べると2.4倍の面積があります。 どことどこ、って感じにうまく重ねられませんでした  こうやって比べて見ると、日本って、南北だけでなく東西にも長く伸びているのが分かります。

在プレトリア日本大使館の領事手数料の変更(お安くなります)

 在プレトリア日本大使館から、メールが来ました。領事手数料が明日(2018年4月1日)から変更になります。この手数料は 2018年4月1日から2019年3月31日まで 有効です。  このところのランド高円安を反映して、手数料(ランド建て)は全体的にお安くなります。こういう手数料って、日本円での価格が先にあって、現地通貨とのレートを勘案して毎年決めているみたいですね。  外国の方が日本へのビザを申請する際の手数料も、405ランド→355ランドに値下げとなります(シングルビザの場合。インド人を除く)。ちなみにインド人のシングルビザは100ランドになります。 2018年3月31日まで 2018年4月1日から      (1)  10年旅券          2,150ランド 1,900 ランド (2) 5年旅券           1,480ランド 1,310 ランド (3) 5年旅券(12歳未満)        805ランド 715 ランド (4) 査証欄増補           335ランド 295 ランド (5) 在留証明            160ランド 145 ランド (6) 出生、婚姻証明等        160ランド 145 ランド (7) 翻訳証明            590ランド 525 ランド (8) 署名証明            230ランド 200 ランド (9) 自動車運転免許抜粋証明     280ランド 250 ランド  この間一緒に日本に行ったハウテン州のお役人さんたち。お役人さんはビザ手数料はかからないのですが、障害をもつ課長に同行した介助者の方(民間の方です)だけかかりました。4月の訪日なら50ランド安かったか。

南アフリカの行政の人の肩書をどう訳しているか

 何回か南アフリカから視察・研修を手配していて、「肩書をどう訳すか」という問題にぶち当たります。大統領とかはわかりやすいですが、下の方になってくると、同じ言い方をしていても国によって立場が違ったりするので難しいですね。  想像力でいろんな訳をつけてくる方もいらっしゃるのですが、ここでは、自分のプロジェクトの範囲で、大使館やJICA南ア事務所が普段使っている訳を当てはめて表を作ってみました。参考にしてみてください。  では、まず、国からです。 肩書(英語) 肩書(略称) 肩書(日本語) President 大統領 Deputy President 副大統領 Minister 大臣 Deputy Minister DM 副大臣 Director General DG 次官 Deputy Director General DDG 次官補 Chief Director CD 部長 Director 課長 Deputy Director DD 副課長  副大臣までが政治家ポストなのは、日本と似ているのでわかりやすいと思います。Director-generalは事務方のトップなので、「次官」としているようです。    次に、州政府です。 肩書(英語) 肩書(略称) 肩書(日本語) Premier 州知事 Member of Executive Council MEC 州大臣 Head of Department HoD 次官 Deputy Direc

ハウテン州主催「ユニバーサルデザインとアクセシビリティ対話」(2018.02.06)

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 2月6日、ヨハネスブルグ市内のホテルで、ハウテン州知事室主催による「ユニバーサルデザインとアクセシビリティ対話」というイベントが行われました。  「対話」というのが誰と誰の対話なのか。おそらく、障害部門(この国では障害者団体や関係するNPO)と政府部門の対話、なのではないかと思います。あと、研究者も少々。 見たところ40-50人ぐらい。 議論に集中できる人数ギリギリといったところ 「ユニバーサルデザイン」とは何かについての発表が、アクセス・ユニバーサル・ソリューション社のマンディさんからあった後(私の登壇の前というせいか、福岡の七隈線を取り上げてくれました)、国際的なベスト・プラクティスの紹介、ということで宮本が登壇しました。 たまには真面目にネクタイを。 動きがありすぎていい写真が撮れなかったそうです  「ベスト・プラクティス」って結構難しいですね。今回は、東京オリンピック・パラリンピックに向けて建設中の新しい国立競技場を例に話をしましたが、当然、課題はいろいろあるわけです。世の中、「完璧」というのはないわけです。重箱の隅をつつけば「ベストやないやん」というのは当然あるわけです。  普通は、PDCAサイクルとかスパイラル・アップが大切だよ、という結論が出てくるわけです。それを話してもよかったのですが、それはそれでなんか平凡かつ時間がたりなさそうです。  そこでこの日は、「障害者団体が声を伝える2つのルート」とか「何をもって実際のデザインは決まるのか」とか、ちょっとひねった話をしてみました。「ベスト・プラクティスの紹介とちゃうやん」という突っ込みはご勘弁を。  15分で、南アのプロジェクトの紹介も一緒に、という無茶な依頼だったのですが、司会のアマンダ・ギバート運輸省ユニバーサル・アクセス課長のご配慮+挨拶がひとり少なかったという幸運のおかげで、時間をたっぷりいただけました。25分過ぎたあたりで、「残り1分」の紙を出してくれて、それでも5分待ってもらえました。ありがたかったです。  終わった後、アマンダ課長が関係者を集めて南アのプロジェクトについて協議をしたいと言ってきてくれたり、南アタクシー協会(ミニバス乗り合いタクシーの全国組織)も、「アクセシビリティの向上に責任を果たしたい」と発言したり、