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「自立生活事業を通した障害のあるメンバーたちの成長」

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 また、古い原稿ですが、昨年4月に(財)日本障害者リハビリテーション協会の「月刊ノーマライゼーション」2017年4月号に載った原稿が、ウェブに掲載されていますのでご紹介します。 ワールドナウ「南アフリカ:自立生活事業を通した障害のあるメンバーたちの成長」  掲載前に上司に見せたら、「暗いけど宮本くんらしくていいんじゃない」という微妙な反応だったような記憶が。。。  短い文章なので、サラッと読んでおわかりいただけると思うのですが、やはりこの事業の「キモ」は、特別な役職者じゃない、地域に住む「普通の」障害者を集めて事業が成り立ったところでしょう。  どこでもそうですが、人材発掘にあたってはクライテリア(採用条件)を結構厳しくつけます。でないと、事業がうまくいかないリスクがどうしても高まりますし、また、採用された、されないの基準が不透明になって不採用の人の不平等感も高まります。当然、汚職のたぐいも懸念されます。また、人件費を払うわけですから、それに見合っているという客観性も必要です。  ただ、この事業では、それをわかった上で、壁を破ってみたかった。地域に実際にリアリティを持って暮らす障害当事者が事業を担うことで、はじめて事業が地域に根付く、というところを、ムジと私は目指しました。  そして、それは、一定うまく行ったんだろうと思います。  出会いは運ですよね。運が良かったところはあると思います。  もし、半年早く事業が始まっていたら、彼らはまだリハビリ病院にいて、別の人たちが紹介されたかもしれない。そうしたらどうだったろうか。「IF」を問い始めればキリがありません。  この原稿では、「サクセスストーリー」としてそうしたアプローチを紹介しています。確かに「サクセス」なのですが、この原稿が掲載されてから10ヶ月後、いざムジが急死してみると、脆弱なところが次々と出てきます。 ソウェト自立生活センターマネージャー、故ムジ・ンコシさんについて (2018.3.10)  特に障害者団体や行政との関係維持といった政治的な立ち振る舞い、そして、NPO法人としてのマネジメント能力が試される日々が続いています。ムジはそこを全面的に引き受けていたので、私にもよくわかっていないところが多かったのが辛いところでした。  スタッフ教育の必要性は日頃から彼

「ド素人がやってきた途上国とのおつきあい」(2005-6年の原稿)

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 唐突ですが、2005年から2006年頃にかけてNPO法人コミュニティサポート研究所の雑誌『こむさ』に寄稿していた記事を久しぶりに入手できたので、ご紹介します。  残念ながら『こむさ』は4号までで一旦休刊。長い沈黙の後、5号が出たようですが、再び休刊状態となっています。私の連載も1-4号まででした。そのため、やや尻切れトンボのようになっています。  1990年代に何をしていたか、20代駆け出しの自分を振り返りながら、30代の自分が書いたものです。日本で暮らしているときはこんな事を考えてたんだなあとか。 海外暮らしでこうなる前の話ですね  改めて読み返すと、どうも生煮えなところが多く、赤面するような内容です。字数制限とか、遅筆グセなど、生煮えにしてしまった言い訳はたくさんありますが、ご笑覧いただけるとありがたいです。  なお、個人名を伏せるなど若干の修正をしています。また、4回の連載を1つにまとめるために、体裁を整えてあります。コミュニティサポート研究所の齋藤明子さんには、電子データでの原稿をいただくとともに、転載をご快諾いただいています。ありがとうございます。 ------------------------------------- クロスオーバーNPO=行政のように縦割りにならないために ド素人がやってきた途上国とのおつきあい DPI日本会議事務局 宮本泰輔  大学時代に留年(留学ではない)を2度経験した。1度目は3年生のときに分かっていたからショックはなかった。4年生のときに奨学金が切れて困ったけれど、5年生のときには復活した。2回目の留年は予想外のできごとで路頭に迷った。「6年生」なんて、小学校にしかないものだと思っていた。  そのとき、なんとなく誘われるがままにDPIという障害者団体でバイトをしていた。その前から関わってはいたけれど、そこで働く人の個人的な介助者としてだった。とりあえず、たまに事務所にやってくる英語の手紙を訳したりしていた。ちなみにDPIとはDisabled Peoples’ Internationalの略で、日本語では「障害者インターナショナル」と訳している。詳しくは、http://www.dpi-japan.org(DPI日本会議)か、http://www.dpi.org(DPI世界本部)

ソウェトの中等学校で生徒たちと意見交換(2018.04.17)

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 ソウェトのミードウランズ地区にあるモゴメ中等学校に、近所のピア・カウンセラーがアポなしで打ち合わせに行ったのですが、すぐにOKが出て、翌週に「啓発イベント」なるものを実施することになりました。  事前打ち合わせの模様はこちらから。 ソウェトの中等学校訪問 (2018.04.11)  アポ無しでいきなり行って、はい翌週、って普通はありえないですけどね。その辺り、地元同士の強みでしょうか。  前日に、ピア・カウンセラーが「1時間も間が持つかなあ」と心配そうに言うので、 「1時間も話すつもりなの? 生徒に問いかけて、一緒に話すとかしたほうが、生徒たちも楽しいんじゃないかな」 と投げかけたら、「ああ、そういう方法もあるか」と気づいてくれたようです。  さて、当日ですが、午後の時間、低い学年(日本だと中学2年とか)の子どもたちが講堂に集まってきました。福祉とかに関心のある高校生も何人か来ていました。   講堂に入る前に、参加名簿に名前を書く行列   講堂に入る前に、参加者名簿に名前を書いてもらいます。これが結構時間がかかる作業です。しかし、これを書いてもらわないと、こちらも行政に「〇〇人集まりました」と報告できないので必死です。  なぜか、青インクはだめとかしょうもないルールがあるようで、青のボールペンを渡したらスタッフに文句を言われました。本当かなあ。 講堂は満席。立ち見も  真面目な生徒は前の方に来て、騒がしいのが後ろに座るのも万国共通でしょうか。一人話し終わると、口笛を吹いて、ヤンヤヤンヤの大騒ぎ。いちいち静かにさせるのもお約束、という感じです。     話す内容は、介助者研修の触りのような感じです。障害者が地域で自立して生きることと、脊髄損傷とか脳性麻痺とかについてもちょこっと。 代表のナタンさんの話を真剣に聞く  自己紹介の後、 「自立ってなんだろう?」 という自立生活センターのメンバーの問いかけから議論がスタートしました。  生徒たちが思い思いに「身の回りのことができる」などと答えた後、 「じゃあ、私は自立していますか?していませんか?」 と重ねて問いかけると、「あ、そういえば自立していますね」と察しのよい生徒もいたようで、それをきっかけに話が弾ん

タイ大使館からソウェトの家庭訪問(2018.06.14)

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 タイと南アフリカは、1993年12月9日に国交を樹立し、今年で25年になります。 在南アフリカタイ大使館ホームページ(英語)  それを記念して、というのかどうか分かりませんが、タイ大使館から、ハウテン州のタウンシップ内の障害者住宅の改善(タイ人ボランティアと材料の提供)を検討したいので、一度視察したい、という連絡が突然入ってきました。  まあ、タウンシップと言ってもさまざまだし、これまでタイ大使館の担当者があまりそういうコミュニティーの中に来たこともないようでしたので、まずは視察ということで、ソウェトにいらっしゃいました。  ソウェトも全部をくまなく見て回るわけにもいかないので、ソウェト自立生活センターのピア・カウンセラーのントンバナさんに案内してもらいながら、ミードウランズ地区からオーランド地区にかけて、5軒の住宅を回りました。  いつもの家庭訪問だったら、もう少し多様な住宅形態を見てもらったり、いろいろと工夫を凝らすところなのですが、突然ということもあり、みなさん同じような構造の住宅でした。そこが残念なところです。  出入り口のバリアもそうなのですが、古くからあるフォールーム・ハウスと呼ばれる形態の住宅はトイレが外にあるので、多くの重度障害者が家の中でバケツで用を足します。そうしたところも含めて、驚くことが多かったようです。  ソウェトだけなのか、他のタウンシップでもするのかなど、具体的な企画は今後詰めていくことになりますが、実施はおそらく8月の王妃誕生日以降ではないかと思います。ぜひ、企画が通って実現してほしいものです。 視察終了後、意見交換をするケッスダーさん(左)とントンバナさん