ソウェト・ブラムフィッシャー地区で自立生活セミナー(2017.10.26)

 ソウェトの北はずれにあるブラムフィッシャー地区で、10月26日、この地区の障害者・家族をはじめ、地域住民の方、150名余を集めて、自立生活や自立生活センターについてのセミナーを開きました。

 このセミナーは、ソウェト自立生活センターが、地元市議会議員と地区委員会に提案して実現したものです。市議会議員と地区委員会が主催する形で開催されました。

ブラムフィッシャー地区委員会で地元市議会議員にアピール (2017.09.07)

 最初は10時開始、ということで準備が進んでいたのですが、前日には10時半開始ということになりました。当日、地区委員の人がやってきてスタートしたのは12時でした。いつもこんなものです。

主催者の到着を待つ、ソウェト自立生活センターの
ナタン代表(右)とムジ・マネージャー(左)
私は早朝にプレトリアに行く用事があり、10時15分頃慌てて到着したのですが、参加者はまだ30人ぐらいで、主催者はまだ誰も来ていない、という想定の範囲内の状況でした。

 自立生活センターのスタッフたちは、始まるまでの間、参加者名簿に記載してもらったり、自立生活センターに登録してもらったりと忙しく働いていました。

書類に書き込むのが苦手な人が多いので、
スタッフ(右)が一人ひとり聞き取りながら登録用紙に記入していく

 主催者の方で、地区のミニバス・タクシー組合と掛け合って、ミニバスをチャーターしてくれました。

 ミニバスは参加者一人一人を拾って、会場にやってきます。地区全体の地形は起伏が激しく、また、道路もスピードが出ないようにハンプ(かまぼこ状のブロック)があちこちに設けられているため、さほど広い地区ではないのですが、参加者を送り届けるのにとても時間がかかります。
 

ミニバス・タクシーが続々と到着

 セミナーには最終的には150名余りの方が参加されました。

 車いすを使う人だけではなく、知的障害児のお母さんたちや、酸素吸入の装置を持参してきたHIVポジティブの方など、多様な障害者・家族が集ってきました。

 私たちから見て、介助が必要なぐらいの重度障害者はほとんど見かけませんでした。やはり、まだまだ家から出られないようです。今日からの活動が、自立生活センターに求められているのだと思いました。



 南アフリカでは英語も公用語のひとつですが、こうしたコミュニティーでのイベントでは、あまり使いません。英語が得意でない人のほうが圧倒的に多いからです。南アフリカ憲法では、11の言語が公用語として規定されています。

 この日はズールー語を使っている人が多かったように思いますが、アフリカ系言語に英語の表現を混ぜながらセミナーが進行しました。

 セミナーでは、自立生活、アクセシビリティ、サポート・グループ、ピア・カウンセリング、介助派遣について説明をした後、質疑応答がありました。質疑応答だけでは時間が足りず、終わった後も、自分の生活状況等について相談を持ちかけてくる人たちでいっぱいでした。改めて、自立生活センターの活動が必要とされていることを実感しました。

 セミナーの最後に、今後活動を進めていくに当たって、地元で連絡調整をしてもらう「自立生活委員会」を選びました。








 ところで、会場となったブラムフィッシャー地区多目的センターは、サッカー場・ラグビー場・バスケットコートなども併設された、まだ新しく、とても広いセンターです。幾つかオフィス用の部屋もあり、市民団体に提供されています。

 今後、自立生活センターの「支部」ができたときには、このセンターに事務所を構えられるのではないかと期待しています。

多目的センター正面
後ろは広々としたグラウンド
水不足も言われる中、芝にたっぷりと水やりも

 ちなみに、地区名になっているブラムフィッシャーという名前は、南アフリカ共産党に所属してアパルトヘイトに反対した白人弁護士、アブラム・フィッシャー(ブラム・フィッシャーとして広く知られています)の名から取られています。ブラム・フィッシャーは終身刑を言い渡されましたが、末期がんを診断された最晩年に仮出所し、家族のもとで息を引き取っています。

ブラム・フィッシャー(ウィキまとめ)

 センターの壁にも、ブラムフィッシャーの功績が絵や文章で綴られていました。

良き家庭人として、弁護士として、南ア共産党の活動家として、
そして良心の囚人としてのブラムフィッシャー

ブラムフィッシャーの履歴が入口に掲げられています

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