プロジェクトは良くも悪くもツールのひとつ

南アフリカ・ハウテン州では再開発住宅(RDPハウス)の10%をアクセシブルなものにする、という政策目標を持っています。人間居住局では、この目標を達成するために、障害者向け住宅だけの区域を作りました。

 確かに政策目標は達成できるでしょう。しかし、障害者はただ「住宅に困った人」なだけではありません。家族、仕事、医療、娯楽など、さまざまな地域との関わりが、このプロジェクトのあり方で損なわれたと思います。

 現に、障害者向けの再開発住宅地区に住む障害者にインタビューをすると、周囲の地区から差別的に呼ばれているという話を聞きます。

 また、いつ家が建てられたかによって、住宅の規格が異なっています。後に建てられた、面積も広くて設備もよい住宅と古い住宅が混在してしまうことから、障害を持った住民同士の心理的な軋轢も感じます。

 他にも、どの障害に対しても同じ規格の住宅で、人によっては便利じゃないつくりになっているとか、犯罪に会いやすいとか、色々と問題を聞かされます。


障害者向け再開発住宅の一例
大きめに作られ、スロープがドアの前にある


 プロジェクトとは、3年とか5年とかいった「一定の時間枠」と、予算という「限られた資源」の中で、「特定の目標を達成する」ために行われる活動です。

 しかし、当然ですが、人は、外から決められた時間枠や一つの目的のためだけには生きていません。

 人生は長いです。プロジェクトが始まる前に人生は始まっていますし、プロジェクトが終わってからも長い人生が待っています。

 また、一人の人にはいろんな役割があります。私の場合だと、父親であり、夫であり、プロジェクト・マネージャーであり、お酒の好きな47歳のおっさんだったりと、色んな顔があります。

 人の集合体である、地域社会もしかりです。

 最初の例で言うと、住宅に困った人を住まわせる場合、その人たちはプロジェクトの上では「住宅のない人」という特徴で捉えられます。しかし、実際には、その人たちがそれまでの生活で育んできた地域社会の価値観や、文化があります。経済的営みもコミュニティによって異なります。

 では、時間や資源に制約があり、目的が絞り込まれている「プロジェクト」と、時間的にも面的にも広がりのある、人々の「生活」や「人生」の間をどう取り持てばいいのでしょうか。

 論文とかでもそうですが、「視野(スコープ)は広く」そして「焦点(フォーカス)は絞り込んで」というのが、プロジェクトづくりにも欠かせない視点です。


プロジェクトはオートフォーカスというわけにはいきません


 これまでも、いろんなプロジェクトを見たり動かしたりしてきましたが、「担当者のその地域への思い入れ」が、これでもか、これでもか、とてんこ盛りになっているプロジェクト提案に出くわすことがあります。

 そういう提案には、あらゆる課題が無秩序に羅列されていることが多く、「ああ大変な問題をこの地域は抱えてるんだな」というのはなんとなく分かるのですが、それで、何をしたいのか?がよくわからない。

 もちろん、私も、障害者運動という分野から出てきているので、どんなことでも様々な問題が多岐にわたって絡み合っているのは理解しています。障害問題だけでなく、環境問題であれ何であれ、ひとつだけ解決したら「めでたし」とはならないでしょう。

 ですので、ご提案されている方の「一つだけ変えたって、何も解決しないんだよ」というお気持ちもよく分かります。また、ご自身の頭の中ではすべての課題が明快につながっているのでしょう。しかし、ご提案が有効に機能するか、資金を提供する側が理解してくれるか、地域住民のニーズと合致しているか、は別問題です。

 逆に、「これさえやれば全て解決!」という自信満々の提案を見せてくれる人もいます。風が吹けば桶屋が儲かるといったところでしょうか。そんな特効薬があるなら、私も飲んで、不老長寿になってみたいです。地域の課題って、そんな単純ではないですし、1つのプロジェクトで、地域社会を「丸ごと」牛耳るって、それはそれで怖いですよね。

 「問題の全体像」を常に意識して、アンテナを張っていると、プロジェクトを計画・実施している中で、新しい課題が次々に見つかってくるはずです。そうした新しい課題には、意欲的に手を伸ばしていくべきというのが私のスタンスですが、ひとつのプロジェクトに全ての活動を押し込めるのはいい方法だと思いません。

 外部者である私たちにとっては、たとえ課題が相互に関連していても、目の前にある課題が、プロジェクトの中にあるものか外にあるものかを分別するのが正しい対応だと思います。

 もちろん、プロジェクトの外だから無視しろとか、対応を断れとか言っているわけではありません。プロジェクトの外のことから、何かヒントを得られるかもしれません。

 そして、可能な限り、いろいろと関わったほうが、「情けは人のためならず」ではないですが、自分のプロジェクトにも良い方向に跳ね返ってきます。少なくとも、関心があることはきちんと相手に伝えるべきです。

 なにより、プロジェクトだけのことを排他的にやっていると、プロジェクト自体が周囲から孤立した存在になって、望ましい地域社会づくりを却って阻害することがあります。

 最初の障害者向け再開発住宅の場合だと、「障害者用住宅を10%建てる」という数値目標だけを追い求めた結果、障害者を周囲から孤立させるという、スコープを欠いた結果を招いています。フォーカスの置き方が明らかに間違えていたのでしょう。内向きな行政機関に特にありがちな傾向だと思います。

 これは極端な例ですが、NGO、政府機関を問わず、社会開発プロジェクトでは、そうしたスコープ全体に映る物についての理解を深めながら、フォーカスを絞っていく計画づくりが求められています。

 最初にも書きましたが、プロジェクトは有限の時間と有限の資源をもって、絞り込まれた目標=課題を達成するための、ひとつのツールなのです。プロジェクトというツールに、あまり多くを期待してはいけないと思います。

 自分の思い入れからプロジェクトを作ろう、というエネルギーが湧いてくるとは思うのですが、自分の思い入れそのものをプロジェクトにしてしまってはいけないのです。

 他の国から関わる私のような立場だと、プロジェクトをてこにして、長いおつきあいをしていく、というぐらいの気持ちがちょうどいいのかもしれません。

 

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