パイのお店にて リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 9月 09, 2014 King Pieという、大きめなショッピングモールなら大抵ある、パイのファストフード・チェーン店の包み紙なのですが、これ、ご注文が手話でできますよ、という啓発活動です。 南アは憲法で11の公用語が定められていますが、「12個めの公用語」と題して、裏側にはメニューのサインネームが記されています。 果たして、これやってみて、店員さんは分かるのかな? リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
日本と南アフリカの面積を比べてみた - 4月 01, 2018 最近知ったのですが、The True Size Of...というサイトがあります(ひょっとして有名?)。 The True Size Of 好きな国を指定すると、その国の形が切り取られて、ドラッグ・アンド・ドロップで他の国と重ね合わせることで、大きさや距離感が分かる!というものです。 青はアメリカ、黄色はインド、オレンジは中国 このサイトの優れたところは、極地に近づくに連れ、ドラッグされている画像が大きくなり、赤道に近づけば小さくなるので、メルカトル図法の弱点もカバーされる点です。なので、異なる国同士の面積を、簡単かつ割と正しいイメージで把握できます。 今回、これを使って、日本と南アフリカを比べてみましょう。 ちなみに、南アフリカの面積は122万平方km。日本は38万平方キロメートル弱なので、おおよそ3.2倍の差があります。3.2倍の差ってどんな感じなんでしょう? 3.2倍もあるかなあ???という印象ですが、きっと目の錯覚なんでしょうね。 赤線が南アフリカの国境です。フリーハンドが下手なので、ちょっと雑ですが。 南アフリカに周囲を囲まれた山国、レソトは新潟、福島、群馬、栃木あたりに重なっています。 この地図だと、行政府の首都があるプレトリアが函館か青森あたりで、立法府の首都のあるケープタウンが佐賀か長崎あたりになります。飛行機代が高いので、大抵の人はこれを長距離バスなり、自家用車なりで行くわけです。お役人や議員先生はもちろん飛行機。 もう1つの司法府の首都ブルームフォンテンは能登半島の沖合ですね。江戸時代の北国廻船をちょっと変更して、瀬戸内に入らずに長崎に向かうような航路が設定できそう。 せっかくなので、タイも重ねてみました。 タイは51万平方km。日本よりは広いですが、2倍はありません。南アフリカはタイと比べると2.4倍の面積があります。 どことどこ、って感じにうまく重ねられませんでした こうやって比べて見ると、日本って、南北だけでなく東西にも長く伸びているのが分かります。 続きを読む
ムエタイがソウェトにやってきた(2019.02.19-20) - 9月 24, 2019 だいぶ前の話になってしまいますが。。。 それは、在プレトリア・タイ大使館からスリポーンへの一本の電話から始まりました。 「アフリカのいくつかの国をムエタイチームが回って、ワークショップを開いている。ソウェトでもやりたいのだが、 100 人集められませんか」 最初、大使館は別の場所を言ってきたのですが、こちらに馴染みのない場所でした。せっかくなので、ソウェトの北端にあるブラムフィッシャー・ヴィレ地区を提案しました。 ここは、私たちが移送サービスの試行事業を手掛けようとしているところで、 2011 年の国勢調査では人口は約 10 万人。比較的新しく開発されているところで、ソウェトの人たちに言わせると貧しい地域だと言われています。実際のところ、ソウェトの他のところと比べてどうなんだろうか。 タイ大使館の要求は結構難しく、南アフリカ政府が用意する人たちでなく、コミュニティーの人たちにムエタイを広めたというお願いをされました。ハウテン州の担当者を紹介すればいい感じになるかなと思っていたのですが、大使館側は手間ばかりかかる政府間のイベントよりも、コミュニティーへのタイ文化の普及を真面目に考えていました。 これは大変だ、ということで、ソウェト自立生活センターの仲間たちに急遽諮って、協力を依頼。大使館の方には、ソウェト自立生活センターをパートナーとして位置づけてほしいことをお願いしました。 かくして、バタバタではありますが、自立生活センターが他国の大使館と作る、地域に根ざした、インクルーシブで国際的なスポーツイベントに向けた 1 ヶ月の準備が始まったわけです。 大使館は参事官がわざわざソウェトまで何度も足を運んで、自立生活センターとの調整、会場となったブラムフィッシャー多目的ホールや管理するヨハネスブルグ市スポーツ・レクリエーション局との協議などをこなしました。市当局との協議のときは、プレトリアから大使館の車をソウェトまでよこして、自立生活センターの代表たちを拾ってから市の中心部まで行く熱心さでした。 南アフリカでは3か所でムエタイ・ワークショップをしたそうです 一方で、ソウェト自立生活センターは、地域の学校を訪問しての協力依頼、そして地域の人たちへの宣伝と人集めを行いました。 1 ヶ月で 10... 続きを読む
ソウェト自立生活センターマネージャー、故ムジ・ンコシさんについて - 3月 10, 2018 2018年2月25日に急逝した、南アフリカ障害者運動のリーダー、ムジ・ンコシさんについて、逝去直後に「何か経歴ないですか」と言われて書いたものがあります。彼が急逝して、早くも半月が経ちましたが、記録と記憶のために掲載します。 2017年9月 レソト政府の視察団へ説明 彼から聞いた話やいただいた履歴書などから慌てて書き起こしているので、不十分かつ不正確なところも多々あろうと思いますが、ご容赦ください。 また、3月1日に行われたメモリアル・サービス(追悼集会)での私自身の挨拶文も掲載します。 2017年11月 ブラムフィッシャー地区での集会で(左) ------------------------------------- (略歴、もしくは慌てて日本の関係者に書いた追悼) 南アフリカの自立生活プロジェクト(JICA草の根技術協力事業)で、DPI日本会議の現地調整員として活躍していただいていたソウェトILCのマネージャー、ムジ・ンコシ (Mr. Muzi Michael Patrick Nkosi)さんが、脳梗塞のため2018年2月25日(日)午前7時頃、ヨハネスブルグ市南部のネットケア・マルバートン病院で亡くなりました。55歳でした。 ムジは、ソウェトの貧しい大家族の中に生まれました。母親がスプーンに入れた砂糖を熱して、茶色になったものを水に溶き、レモンティーだよと言って飲ませてくれた話や、少額であっても売れそうなものは何でも商売にして糊口を凌いだ話をしてくれたのを思い出します。 高校時代に銃で撃たれて障害者になった後、しばらくは自宅で孤独に過ごす日が続いたと聞いています。大家族が日々の糧を得るために必死に働く中、自宅でひとり横になっている生活は、家族の重荷になっている自分を強く自覚させられるものだったようです。 1980年代に入り、南アフリカの障害者運動の祖とも言えるフライデー・マブソ氏の自宅訪問をきっかけに、ヨハネスブルグ中心部にできた「自立生活センター」が行うサポートグループに通い、多くの仲間との出会いを作っていきます。その中で、障害者運動と地域生活に目覚めていきました。積極的に社会に出るようになり、その結果名門ウィットウォーターズランド大学に入学、1989年に教育学士を取得しました。当時を振り返... 続きを読む
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